橿原市の藤原京跡(694~710年)から2001年に出土した、かけ算の「九九」が書かれた木簡について、奈良文化財研究所(奈文研)が最新の赤外線観察装置で再度読み取った結果、九九の一覧表の可能性が高いことが分かりました。当時の役人が計算をする時、早見表として使ったと推定され、実務用の九九木簡としてはこれまで見つかった中で最古級とみられます。
09年に奈文研がまとめた報告では、1段目の右端を「九々八十一(9×9=81)」、2段目の右端を「四四十六(4×4=16)」と読み取っていたため「並び方に規則性がなく、役人が九九を覚えるために使った木簡」とされていました。
しかし今回、奈文研の桑田訓也主任研究員が最新技術を使って撮影、再検討したところ、2段目の右端は「四九 卅六(4×9=36)」の可能性が高く、並び方に規則性が出てきました。
当時の九九は現在とは違い、「九々八十一(9×9=81)」から始まり、「八九 七十二(8×9=72)」「七九 六十三(7×9=63)」と続いていました。九九木簡は長さ16.2センチ、幅12ミリしか残っていませんが、これは当時の九九を右から左に5行ずつ段組みした右上隅部分にあたると考えられます。
同じ並び方の一覧表は中国秦漢時代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)に多く見られ、日本では平城京跡(8世紀)をはじめ約10点の出土例があるそうです。桑田主任研究員は「日本でも秦漢時代の書式に近い一覧表があったのだろう。(役人がかけ算をする場面は)出勤日数の管理や税を集める時などが考えられるが、今回の研究成果が具体的に九九がどのように使われていたかを知るきっかけになれば良い」と話しました。
(取材/岡崎雅樹記者、2024年9月5日付第1社会面)
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