2011年8月30日から9月4日にかけて、動きの遅い台風12号が記録的な大雨をもたらし、奈良、和歌山、三重3県で土砂災害が相次いだ紀伊半島大水害から13年。8人が亡くなり、3人が行方不明のままになっている奈良県五條市大塔町宇井で4日、慰霊祭が営まれ、遺族や地域住民、市の職員ら約80人が犠牲者を悼みました。
13年前の9月4日午前7時過ぎ、熊野川をはさんで宇井集落の対岸にある清水地区で、山の斜面が幅220メートル、長さ350メートルにわたって崩れました。あっという間に熊野川を越え、濁流とともに宇井集落に乗り上げた大量の土砂は民家11戸を押し流し、道路も壊しました。
慰霊祭は同集落内の大塔運動場で営まれ、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑の前で、参列者が黙とう。追悼の言葉を述べた平岡清司市長は「当たり前と思っていた平穏な生活が一瞬のうちに崩れた」と無念の思いを語り「全市民が心を一つに、災害に強いまちづくりに向かって、ひたすらに突き進むことを誓う」と述べました。
祖母を失った亀山実友斗さん(22)は当時小学生で、突然の知らせに泣く母親の姿に胸を痛めました。その年の夏休みも祖父母の家に泊まって川で遊び、皆でにぎやかに手料理を囲んだばかりでした。祖父母は秋の運動会にも毎年応援に駆け付けてくれたといいます。
「かわいがってもらっておばあちゃんっ子でした。今も祖母の写真に励まされる時があります」と懐かしみ、「川は今もきれいだし、思い出は大切にしています」と話しました。
被災した当時、40世帯以上あった宇井集落は今、11世帯に減り、ほとんどが高齢者の独り暮らしだといいます。三木栄次自治会長(65)は「人が少なくなって、地域のことをちゃんとやっていくのも大変だが、13年前の被害を風化(※注)させてはならん。決して忘れやん」と亡くなった人たちをしのびました。また「災害は二度と起きてほしくないが覚悟は必要だ」と話し、高齢者が安全に避難できる場所の確保や宇井集落に、にぎわいを取り戻す取り組みを望みました。
※注=記憶や印象が時の流れとともに薄れていくこと。
(取材/木之下伸子記者、2024年9月5日付1面)
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