能登半島地震の被災地復興と世界平和への思いを込め、書の揮毫(※注)を行う催しが3月31日、平群町信貴山の信貴山朝護孫子寺で行なわれました。県立西和清陵高校(三郷町)の書道部員5人が「軌跡」などの文字を書き、同寺に作品を奉納しました。
聖徳太子が制定した『十七条憲法』の第1条に書かれている平和を大切にする考え方、「和の精神」を国内外に発信する団体「和プロジェクトTAISHI」(名古屋市、宮本辰彦代表)が主催。3月29日から4月20日まで書家や高校の書道部員が全国のお寺など43会場で揮毫する企画で、県内では4月3日に法隆寺(斑鳩町)と橘寺(明日香村)、6日に奈良市の東大寺と西大寺でも行われました。
本堂では、鈴木貴晶・同寺法主ら僧侶による読経などの後、部員全員が次々に筆をとり、大きな用紙(縦約140センチ、横約180センチ)の中央に「軌跡」と力強く記し、両サイドに「平和までの道のり/煌いた世界」「僕らが歩いた跡/これからも守る未来」と書きました。
部員の代表が「平和への努力の歴史を受け継いで、未来を大切にしたい、との気持ちを表現したいと思ってのぞみました」と説明。鈴木法主は「本当にいい言葉を選ばれた。(奉納された書は)7月末まで本堂に置かせてもらうので、お参りされた方が、それぞれの思いを託していただければ」と述べました。
パフォーマンスに参加した3年生の石田優来さんは「思っていたように書けた。私たちの思いが被災地の人たちに伝わればうれしい」と話しました。
※注=毛筆で文字や絵を書くこと
(取材/久後力記者、2024年4月22日付教育面)
問題
問題①
信貴山朝護孫子寺は聖徳太子(574~622年)との縁が深いことでも知られます。朝鮮半島から日本に伝わった仏教をどのように扱うかをめぐり、587年に起きた争い(丁未の乱)で聖徳太子は、仏教をすすんで受け入れようとする蘇我馬子と共に、仏教を排除しようとする物部守屋と戦いました。この時、同寺にこもって戦いに勝てるよう祈った聖徳太子の前にあらわれた仏さまとは?
- ①毘沙門天
②地蔵菩薩
③恵比寿神
問題②
信貴山朝護孫子寺の本尊は問題1の仏さまです。この仏さまが聖徳太子の前にあらわれた年、日、時刻にちなんで、ある動物が信仰されています。この動物は何でしょう?
- ①ネズミ
②ウシ
③トラ
問題③
信貴山朝護孫子寺には国宝に指定されている『信貴山縁起絵巻』があります。その第1巻「山崎長者の巻」では、信貴山に向かって飛んでいく鉢が描かれています。その鉢の上に乗っているものは何でしょう。
- ①餅
②馬
③米倉
問題①の答え
答え①
丁未の乱は当時、大きな勢力を誇っていた二つの豪族、蘇我氏と物部氏が、外国から伝わった新しい宗教である仏教を受け入れるかどうかをめぐって争いました。この時、聖徳太子が戦勝祈願をした場所が信貴山とされ、毘沙門天に守られてこの戦いに勝利したと伝えられています。
問題②の答え
答え③
昔は方角や年、日、時刻に十二支の動物があてはめられていました。聖徳太子の前に毘沙門天があらわれたのがトラの年、トラの日、トラの刻でした。そのため、信貴山ではトラが信仰されています。現在でも、信貴山に行くと大きな張り子のトラ=写真=が迎えてくれます。
問題③の答え
答え③
『信貴山縁起絵巻』は12世紀に描かれた絵巻物で平安時代中期に活躍した高僧・命蓮にまつわる説話を生き生きとした絵のみで表しています。『山崎長者の巻』『延喜加持の巻」『尼公の巻』の3巻があります。
『飛倉の巻』とも呼ばれる『山崎長者の巻』では、信貴山で修行中の命蓮が、修行を通して得た不思議な力を使って山の麓の長者の家に托鉢(※注)のための鉢を飛ばします。ところが、長者の家の者がうっかりと鉢を米倉にしまいこんでしまい…。なんと鉢は米倉を乗せ、命蓮のいる信貴山に向かって飛び去ってしまいました。倉を返して欲しいと頼み込む長者たちに命蓮は「中の米俵は返しましょう」と言い、またまた不思議な力を使って鉢を動かし、米俵を長者の家に運びました。いくつもの俵が空を舞い、次々と運ばれていく様子や命蓮の力に驚きあわてる人々の姿が印象的なエピソードです。
※注=僧侶や尼僧が修行のため、お経を唱えながら家の前などに立って食べ物やお金を鉢に受けて回ること。
問題の作成者・監修者
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出題/帝塚山大学文学部 民俗学ゼミ有志
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